了(りょう)

このブログは「思想」をメインに扱います。私の場合は思想と云っても決して高尚なものでなく「対話重視の思想」という程度のものです。😓

由美子って廣野だよね!?⑳ opinion🅒

今回の私の感触をもう少し記すと作家オースチン価値論が浮上って見えて清々しい。価値論「真・善・美」は世間的に知られる哲学だが、はとも角、だけは誰にも明らかに出来なかった。オースチンの慧眼はその真の本体を見抜いたように思える。

オースチンいくら愛しても無駄となってしまったいま、自分は彼を愛せると初めて心からわかったのだとリジ―に語らせる。リジ―の打算が消えて初めてダーシーの人間性が見える。人間性に具わる「真・善・美」‥真の価値人間性の発露と倶に顕われる。

人は自他ともに心身を飾るから一往五感六感で表面を見分けられる。飾った他者を評価するのは勿論だが、飾った己を他者に評価されて一喜一憂している自分自身でなかろうか?そう哲学するとき再往己を見直すことになり、裸の人間を哲学したくなるベキだ。

ここまでがオースチンの哲学のようだ。だが大事な点はこの後だ。己のなかに真・善・美の価値は具わるという知識を得たとして‥この価値は使ってこそ意味がある。価値の本領を発揮しなければ宝の持ち腐れ‥否否、価値も変じて毒となり自他に害悪を為す。

即ち、オースチンの哲学は仏法共鳴する。価値を具える尊い存在を地涌の菩薩という。地涌の菩薩の使命は己の価値を世間に発現させること。己に尊い価値があることを示さずしては役立たず。ゆえに如何な病いも障りにさせず、元気を失わぬ地涌の菩薩。

地涌の菩薩については詳しいどなたかにお聴きになられれば幸いです。拝。😅

由美子って廣野だよね!?⑳ opinion🅑

第四回目の放送に作家オースチンの男性観・女性観が具体的に見えるようです。己を確り持っているとはどういうことかと思った。結局、確りした男性とか確りした女性と云うことでなく、己を持っているかどうか。 即ち大人の条件にも通じそうに私は思った。

自己主張しない謙虚さになんの意味があるものか‥ あなたはそう思わないか? 誤まった主観さえ主張しない所になんの価値が見出されるものか‥あなたもそう思うのでないか? あなたは物分り良さそうなら鵜呑みにするか?偏見が観られなければ盲信するか?

軽薄かも知れない四女五女の長所があなたにも見えるだろう? 四回目の放送ではそういったメッセージを私は廣野由美子氏から受け取った。高慢と偏見は若者に特徴的だが、短所は長所へ転換できる。その転換する能力に於いて若者のパワーは老人の比でない。

Old soldiers never die, but fade away. これは英国の軍歌の一節。軍隊で老兵の姿を見掛けないがその訳を軍歌は教えるようだ。(英国軍の)老兵は死んだのでなく、(目に見えないだけで実は若い兵隊と共に戦っているんだ)‥このように私は読むが、いかが?

老兵は若者となって戦う。若者になる老人はそれで良いとして、若者にならない老人は生れ替わるのみ。高慢も偏見も短所のようだが長所に変換して活かす若者パワーに期待している。ゆえにオースチンは短所を恐れない。無駄に高慢・偏見なのではないぞ。😅

主張するオースチン、主張するリジ―(エリザベス)、主張するダーシー。この主張する3人がドラマのリーダーだ。opinion leaderだ。高慢の何が悪い? 偏見の何が悪い? 救いようがないのは聴く耳を持たない老人だ。当然だが若年の老人も救いようがないぜ。

聴く耳を持たない老人は善い言葉を知らず語らず、知ったふりで踏ん反り返る愚か者。老人に盲従する者は若年にして老いぼれて認知力を家族から失わせる道理。こう導かれてきて、リジ―が、ダーシーがきちんと聴いて & 返していることが分るのでないか?

言葉づかいは少々悪くてもリジ―とダーシーは共に言葉のやり取りが出来ている。いやいや、私は廣野由美子氏の解説しか知らないから原文はどうなっているかまでの保証は致しかねるが、優れた作家なら私の想像を裏切ることはマズ有り得ないと思っている。

それで廣野由美子氏には心からのお礼をここで述べておきます。愉しい講義をまことに有難うございました。🍓 拝。

了。

由美子って廣野だよね!?⑳ opinion🅐

どんな視点・論点もあっていい。それが自己主張であるなら憶することはない。社会はそれに対して堂々と応えて民主主義を護る姿勢がいのでないか。民主主義は誰からも舐められてはならないが、社会が卑屈なら自ら民主主義を貶めている。私はそう思う。

自ら完璧でないことで臆すことはない。完璧に見せかけるのは(よこしま)に通じる。世界も自分もいつでも完成前の深い闇夜の状態であればこそ遣り甲斐・生き甲斐が途絶えることはなく、即ち、いつも吾が前に目標を見つけることが可能になるのだろうな。

ジェーン・オースティンは小説に完璧な人物を描いた積りはないようで、ハッピーエンドで物語を締めくくった訳でもないようで、欠点だらけのヒロインであり、目の前の課題に果敢に挑戦する生き方をしとしていて、即ち欠点だらけの私の勇気も見つかる。

弱虫ほど高慢であり、怠け者ほど偏見に侵されている。そうでなければ高慢にも、出来ないなどと言う筈なく、無理という言い訳(≒偏見)をする筈もない。このように高慢も偏見も吾がことと捉えるのが正義に適う生き方でないのかな!? あなたはいかが?😅

由美子って廣野だよね!?⑲ 大事なコリンズ様💛

ここで物語りの骨子を振返ってみます。ベネット家の家族構成は両親と5人姉妹で、男児は居ず、これからも男児に恵まれることはないようです。このままでは英国法に則って父親が亡くなった瞬間から残されたベネット家の6人の女性は住処を失う定めです。

当時40才代で亡くなるのは普通ですからベネット家の父親が失くなることも覚悟して置かねばならない。そして父亡きあとの生活プランが出来てなければ忽ち路頭に迷うことになる。これはもう呑気に恋愛してる余裕はない切羽詰まった状況だとお分りだろう。

それならどうするのが善いか?㋐父の遺産を引継ぐ権利を持った男性を立てる。㋑嫁入りする。㋒資産家の親戚に身を寄せる。㋽働きにでる。㋔家なき子フランダースの犬の主人公のように野原や軒下で夜を過ごす。この㋐㋑㋒㋽㋔のどれかになりそうです。

㋐㋑を併せた対象がコリンズです。コリンズは遺産を引継ぐ親類ですから彼に嫁げば暮らしは保障されるでしょう。コリンズの嫁はベネット家の娘と決った訳でなく、コリンズがリジ―から侮辱される謂(いわ)れがあるように聞かされた憶えは私には全くない。

オースティンの時代、働いた経験のない女6人が路頭に迷うのは惨めに死を待つに等しい筈だ。『レミゼラブル』でコゼットの母は娘を預けて死ぬまで働いたが、ベネット家を待つ現実もそれと同じ‥コッペパン1個のために盗んだり身体を売ったりした民衆。

他に生きる術がなければ盗んだり身体を売って命を繋ぐのは普遍正義に適う。即ちバルジャンが一切れのパンを盗んだのは正義。バルジャンの物であるべきパンを奪った者が邪悪なのは言うまでもない。ミリエル司教は返すべきをバルジャンに返しただけだ。

念のために云えば、「国法 ≠ 普遍の正義」となり、普遍の正義から外れる国法と国法は互いを傷つけ合うことになる。ミリエル司教は国法に依らず、生命を尊ぶ普遍の正義に遵ってバルジャンを尊んだのだ。人間を蔑む法は普遍の法・普遍の正義にそぐわない。

ともあれリジ―は、謂れなく蔑んできた(?)コリンズを夫とする途を拒絶した。コリンズが差出すパンを拒絶するのはリジ―の勝手だし、国法が護るべき対象をリジ―からコリンズへ替えたことはリジ―にとって甚(はなは)だ面白くなかったのは事実でしょう。

それにしてもリジ―がコリンズを強気であっさり振った背景に姉ジェインと富豪ビングリー氏の交際があったと分る。ベネット家の人間の目にはビングリー氏がジェインに夢中のように見えたと捉えられる‥大物富豪はベネット家の女たちを護ってくれる筈‥。

諺に捕らぬ狸の皮算用というが、ビングリー氏がジェインを簡単に捨てるだなんて‥計算違いの青天の霹靂ビングリーに振られたジェインの噂は瞬く間に拡散されるのは今も昔も変らないと思う。「大事な大事なコリンズ様、戻って来て」と今さら言えまい。

ジェインは当分立ち直れまい。三女に能動的な恋はあるまい。四女五女は軽薄。最早誰にも頼れない断崖絶壁の状況に追い込まれて次女リジ―のヤル気は無理にも曳きだされる。背に腹を代えられないのならダーシーの多少の瑕疵には目を瞑(つぶ)らなきゃね。

(いやいや、リジ―の本音は脇に置いて) 彼女が置かれる立場はこういった状況に違いなく、ボロを纏った女6人が空きっ腹を抱えてコリンズに食べ物を恵んでもらっている姿まで想像できるリジ―ってことは誰も否定しないでしょう? これはまさに女の一生だ。

私は奇麗ごとを言う積りはないのです。世界中の女が売春婦になるのも視野に入れてるし、世界中の男が野獣と化して弱い人を食い物にしている姿も視野に入れている。私の娘も孫娘も例外でなく、息子も孫も例外であり得ない。嫌だから避けられるのでない。

嫌だから警鐘を鳴らす。リジ―は私には他人事でない。😓

由美子って廣野だよね!?⑱ 矜持

廣野由美子氏はスキーマ論がお好きなのかな‥。スキーマ‥たとえば自己スキーマ感情論でなかろうか?「自分が外向的であると考える人は、外向的な自己スキーマを持ち」というレベルの論法でしかなければ、外交的かどうかは感情論に違いありません。

自己スキーマを理性的に説明できない理屈‥況して他者乃至一般論としてのスキーマを理性的に説明できる理屈は成立たないのでないか⁉ そうであれば廣野氏はオースチンの『Pride and Prejudiceを感情論で以って説くゆえに無責任な姿勢でないのかな⁉😅

 感情論ということなら、プライドを誇りと訳さず、高慢でも傲慢でもうぬぼれでも‥とにかく衆目を集めてヒットしそうな翻訳が好いのかも知れないが、それが100分 de 名著のレベルかも知れないが、公共放送には矜持(きょうじ≒pride)が似合うと私は思う。

生命(体)は普遍的上昇志向するようです。これは科学的に証明されていくでしょう。殊に人類の上昇志向は比類なきもので、どんな悪条件をもプラスに転じて上昇のエネルギーに変える能力を示していると言えるでしょう。人間はどんな悪条件をも乗越える。

人間に具わるこの能力を徒(いたずら)に貶める(≒邪な)思想は如何なものか? 人間の尊厳を卑しめ貶め辱しめる邪な思想は如何なものか?廣野由美子氏の矜持はそのような私の老婆心(?)を吹き飛ばすべき4回目の講義を準備し締め括ってくださると思っている。

由美子って廣野だよね!?⑰ 価値論

諺に「嫁は下から婿は上から」とか、「小糠三合あったら婿養子にいくな」とか言われるが要するに、結婚するなら双方の家柄が吊り合っていなければ中々上手くいかないってこと。伴侶の育ち(≒家柄)は人柄に表われやすくて中々改まらないかも知れません。

縁談が持ちあがった際に取交わす吊書(= 釣書)。吊り合う相手か、納得できる相手か‥家柄・資産・家族構成・学歴などをお互いに確認しあうのにモッテコイの吊書損せず得(とく)したい等の思わくも働いたりして取り持つ仲人はとても重宝されそうです。😇

それまで取るに足りない存在だったコリンズ。そいつがリジ―と同じ格付の家柄を纏って現れて求婚したのだ。リジ―が意味なく軽視してきたコリンズは男の数にも入らない格下の塵の筈だった。そいつと立場が入れ替るなんてリジ―には受入れられない現実。

この現実からリジ―が逃れるためにはどうしたらいいか? 貧しく落ちぶれる前に現状と同格あるいはそれ以上の伴侶を手に入れるよりほかにリジ―が考えられる手はあるまい。なにせ落ちぶれたくないという必要条件を満たさなければならないリジ―だよね?

私なら別の途を採るはずだが、これまで廣野由美子氏はリジ―に別の途を指し示していなくて、ここはオースチンと同じ道でOKだと一応捉えておきたい。しかも嫁は下から貰えという諺に合致するし、シンデレラの例もあるし、ナニより幸せであって欲しい。

それはさて置き、吊書には相対的価値が列記されることになるのだろうな。その点、リジ―の場合はどうか?やはり相対的価値が並ぶのだろうか?西洋は価値論の発祥の地だが‥仮にも相対的ってことなら価値論を貶めていないか?そうであれば悲しいこと。

私は哲学で捉えるから悲しく思うのかなあ‥? 英文学はどうなの?廣野氏はどうなの?面白けりゃいいじゃんって考えかたも分るけど、それも私は受けいれるけど‥「西洋の価値論≒相対論」って如何なの?それで好いの?そんなこと考えてしまう私なのです。

 

ごめんなさい、これまで西洋の価値論が相対論か絶対論か、あるいは西洋の価値論は普遍的価値か‥なんて考えた意見に出合ってないから、これは読み飛ばして貰ったほうが恥を掻かなくて好いかも知れません。汗 😅

由美子って廣野だよね!?⑯ 使命~使徒

長女ジェインの心に使命感は見られず、彼女に身命を擲(なげう)つ気概は育たない。それなら使命感が見られるのは誰かと哲学せずにいられない私。どんな哲学も仲間に強要すべきでないから釈迦ナザレのイエスも言葉に示し、自ら実践して見せたのだろう。

日々のデキゴトを只々楽しみたいジェインを誰も咎めるべきでない。次女リジ―の生甲斐はジェインとは別の所にあって、これも咎められるべきとは思わない。同様に三女メアリ―も四女五女もダーシーも他のどの登場人物も咎められるべきと私には思えない。

身命を擲って努力する人(≒使徒)と己の使命を知る人とは必ず一致するのでなく、使命を知る人は使徒であっても、使徒が使命を知るとは限らない。結局、使命を知る使徒が尊いと云うことになろう。仏教では使命を知る菩薩が活躍する時に触れているようだ。

使徒と云い、菩薩と云い、私の感覚には彼等が真実を述べて世を覚醒させたいように見える。真実を述べ、世を覚醒させようと願う人は命題への一本道に次第に通じていくに違いない。一本道ゆえに逆行した後方は深淵の泥沼が口を開けている。私はそう思う。

私が信じる哲学を云えば、責任が重く大きくなる程にくもしくもその見返りは大きい。責任がない者には見返りその物がない。この哲学に納得するとき私は前向きになって、努力する悦びを得て、そうしてどんな結果がでても甘んじて享受することになる。

何を観るか?真を観るか、美を観るか、善を観るか、利を観るか、正義を観るか、相対価値を観るか、絶対価値を観るか、読みかたは色々だけど‥己の精一杯で読めたら満足すると思っている私なのです。

Pride and Prejudice(≒高慢と偏見)の一端に触れただけだが、このように私を豊かにしてくれたのは事実。私を豊かにした100分 de 名著廣野由美子氏への見返りは私の比でないのは余りに当然で感謝の言葉もない。先にお礼を述べておきます。😌