了(りょう)

このブログは「思想」をメインに扱います。私の場合は思想と云っても決して高尚なものでなく「対話重視の思想」という程度のものです。😓

由美子って廣野だよね!?⑮ ヨガリ

四女五女役が急激にトーンダウンしてないか‥!? そんなことを3回目の放映に感じた。1回25分の放映だから喋りを制限されるのは仕方ないことかも知れない。肝心要の部分を削られては困るし、視聴者は四女五女のヨガリ声を聞きたいワケでもない筈ですから‥

ともあれ、廣野由美子氏が25分間一人で語り続けたとして、それで満足するのは私のような教育番組マニアに限られるだろうし、どんな話題も誰もが聴けるように考え出された録音笑い(≒ラフトラック)であり、四女五女の役目ということは私も理解している。

廣野氏は虚栄心偏見障害と見做すスタンスなの?ヨガリ声であれ録音笑いに利用できるように虚栄心や偏見に寄るヨガリ声であっても一概にNON(≒障害)と決めつけるのは如何なものか? 虚栄心も偏見も駄目なとき、その恋愛は危険視されてOui(≒当然) 。

もしかして、日本語で「ハイ」と云うべきを西洋流儀に倣って「NON」と表現したのかしら‥ハテ、難しい。これは「障害」と否定的に捉えるより「成長への糧」と肯定的に捉えるほうが前向きな指導者の姿勢に思えるが、あなたはそうお思いになりませんか?

人というものは独り善がりに成りがちですが、私の独り善がりは駄目で、誰の独り善がりも駄目で、10人或いは100万人が声を揃えたところで独り善がりは駄目だろう? 即ち独り善がりにならないためには‥対立関係を修復せずして善しとしてはならない道理。

虚栄心偏見は美しいベールに包まれるときその危険が見過ごされやすくなるのでなかろうか?然るに如何な虚栄心も偏見も明るい太陽の光の下に引き出されて私たちを賢く導く役目を負うことになる。子どもの虚栄心も偏見も肯定的に捉える大人が善い大人。

ともあれ、独り善がりにならないためにリジ―はダーシーと激しく擦り合った。擦れて擦れて二人は共に垢抜けて素敵なカップルに成長したのでなかろうか。頭ごなしの否定はナニゴトに寄らずヨロシクないと云えそうです。対話しない人は信用ならないよね!?

由美子って廣野だよね!?⑭ カップル ‐4

お似合いのカップルは無数にあるがベストカップルは余りに少ない。ベストカップルはお似合いのカップルの数だけあっていい筈だが一体ドコへ消えてしまうのか‥。或る者は希望を失くし、或る者は憎み、或る者は悲嘆に沈み、傷つけ、傷つき‥落込む人々。

この者たちの多くは共通の敵を得て意気投合するようで敵を接着剤とする。接着剤が効かなくて剥がれ落ちる紙切れ。また多くは楽しませてくれる設備に入り浸る。設備が陳腐化して行く宛てなくした迷子のカード。そうであれば‥飽きられ捨てられたペット。

結局、長女ジェインはペットだったに違いない。可愛いペットのジェイン。誰かに見せて自慢できるペットであればこそ、尊厳を要件とされることのない女・ジェイン。賑やかしの四女五女と用途に於いて違わない‥そんな女性に寄せては返す波の如き紳士群。

その程度の恋愛モノにうっとりする恋人たちは多いだろう。そんなかれ等は恋に恋するお年頃だろうけど、いつ? どこで? ホンモノの愛を育むことができるだろうか。廣野由美子氏は安っぽい恋愛モノを視聴者に勧めて満足できる人格‥と思いたくもない私。

私の哲学はホンモノを善しとする。あなたはいかがでしょう?😅

由美子って廣野だよね!?⑭ カップル ‐3

一応、ここから3回目の講義に入ります。

人はどこへ向うか? どこを目指すか?それは立脚点から希求する所。リジ―とダーシーはどこを目差すべきか‥それは一往オースチンの立脚点から導かれるが、小説の面白さは天井を打たない所‥翻訳者廣野由美子は自分の守備範囲を自由に設定・加減できる。

同じことは私にも云えて、責任範囲を決める自由は当人に属するから私は道を選べて、充実の道を選り往けて、責任の権利を棄てて安逸の道を選り往くのもOKで、同様にリジ―とダーシーのカップルをどこへ着陸させるかは読者が個々に決めていい専権事項。

二人に破局の筋書きを想定する読者はいるだろうし、ハッピーエンドのシンデレラストーリーを描く読者はいるだろうし、安っぽい恋愛ドラマで満足する人もいるだろう。今もオースチンの時代を生きている人はオースチンを超える哲学を想像し得ないだろう。

21世紀を生きる私の知識・智恵はオースチンを超えていて当然で、オースチンレベルのドラマ展開に満足できなくて当然で、己の時代の進んだ哲学で読み解いてこそオースチン文学から得るものも見つけられて満足することになる。それは廣野氏も同じだろう。

私がリジ―を恋人に選ばないのは他者の過去の栄光に酔いしれ囚われる己心を悦べないからであり、リジ―やオースチンにあやかりたい人々が群れ集まって騒ぐのを否定するものではありませんが、今さらダーシーを求める女性たちを求める気にもなれない私。

さて、廣野由美子は私をどこへ導いてくれるだろう? 今はそういった関心から「高慢と偏見」を視聴している。もちろん、私だけが視聴者なのでなく、どこを目差すも廣野には廣野の都合もあれば、私が幻滅しないとも限らず、哲学の違いも視野に置くべき哉。

ま、100分de名著は世界レベルと云えるのでなかろうか。😅

由美子って廣野だよね!?⑭ カップル ‐2

刺激を与えあう関係がカップルだ。しかも全ての刺激は善いもので、全ての刺激は悪しきもので、その善悪の判断はいつでも受け手側に委ねられる。 だからこそリジ―はウィッカム氏に感謝できる訳で、即ち彼女は他の誰にも感謝の気持ちを抱くことに通じる。

ウィッカム氏と仲好い関係が続いた間に止まらず、ウィッカム氏と別れた後も感謝の気持ちはリジ―から消えることなく、リジ―の全ての交際関係はベストカップルなんだ。但し、リジ―との関係をベストと感じるか、ワーストと感じるかはダーシーの問題だ。

己を高貴にできる己であり、己を卑しくするのも己だ。相手は刺激をくれる貴重な人だと知るならば軽んじるなどと愚かな言動ができようか? ロビンソンクルーソー無人島で助けた少年を大切にしたが、恵まれた条件下にある人ほど認識は歪んでしまうのか。

見合い回数40回という連ドラ「ひよっこ」の久坂早苗。40回のミニ体験を重ねて40種の男性を観た結果、幻想は破れて男性への幻滅感が正されると採ることは可能で、男性憎しと思うかも知れず、早苗が成長するも堕落するも全ては自己責任と云えば好いか‥。

ともあれ、経験で世界観は広がり、知識は増える。要は経験を生すか腐らすかだ。生かされた経験は早苗の魅力度をアップさせ、生かされなければ腐って堕落する早苗だ。結局、年を取るほど老いさらばえるか、年を取るほど若く元気になるか‥自分で選べる。

善く共鳴するカップル有り、悪しく共鳴するカップル有り、何れにしても共鳴するのがお似合いならば‥カップルは善く共鳴したいものです。プライド高いダーシーはリジ―と善く共鳴する道を選択したことは廣野氏の解説にクッキリと表われているようです。

ダーシーとリジ―がベストカップルであるためにオースチンは正確を期した。何も足さず、何も繕わず、有りのままのダーシーと、有りのままのリジ―が互いを尊びあい、大切に思いあう‥これが最善のカップルに相応しい姿。これがオースチンの考える理想。

由美子って廣野だよね!?⑭ カップル ‐1

couple ≒ 似合いのペア‥私の感性はそう認識する。あなたの認識では如何?(*´з`)

公園や遊園地で出逢うカップルにお似合いとかプラボーとか手を振ると大概は笑顔で返してくる。似合いのペアでOKって当事者も思ってる。しかも私は似合いでないカップルを見た記憶がない。そういうことだから今回のお題はカップルとしたのですけど‥。

上記の文で「認識をゆがめてはならない」という根拠に出来ないだろうか?オースチンは認識のゆがみを嬉しく思わなかったようです。もちろん、オースチン(私もです)があなたの歪みをどうこう出来る立場でなければ‥己自身に課した命題という事になる。

このことに納得できたら誤解と拒絶をくり返したリジ―とダーシーを温かく見守りたい私のスタンスを理解したくなるかも知れない。すなわち誤解のナニがいけないの?また拒絶のナニがいけないの?と深まる哲学だ。誤解も拒絶もなかったふうなジェイン‥

俺に逆らうお前は許せない‥こんな感覚をもつ日本人は多い。私の気持ちを逆なでする人は嫌い‥知識人は一様に思っているのでなかろうか? その根拠として私は空気を読めとか、いちいち逆らうなと言いたがる知識人の助言の多さに表れていると思っている。

そんなことをいちいち気にしてたらリジ―もダーシーも本音を隠していなきゃならないじゃないか。違うかな? 従順な羊のように唯唯諾諾とつき従う彼女がお好みの男は多いだろうし、最近は男を従えたがる女性も増えているとは思うが、オースチンは違った。

己と違う意見を口にする人を喋らせないようにしたいと考える知識人は確かにいらっしゃる。その知識人がジェントルマンであれレディーであれ、そのレベルで終りたくないオースチンであり私であり、愛する人にも高みを目指して貰うのでなければ詰らない。

(高みを目指す)リジ―とダーシーは人に憎まれていいとオースチンは思っただろうか?誤解したり、拒絶したりする人は憎まれて当然と捉えるべきか?常識を判断基準にする認識は必ず歪むことになる。常識は偏見(≒部分観)でしかないと知るべきでしょう。

ついでですが、離婚も別離もお似合いならこそ起り得ること。ですがこれは浮気や離婚を決して正当化させよう積もりではありません。😅

由美子って廣野だよね!?⑬ リジ―のこと㋒

リジ―はダーシーを向うに回して丁々発止と戦っている。この戦いをリジ―は少しも楽しんでいない。一筋縄でいかないダーシーが相手だもの、思いもしない角度からの返球が当然のように飛んでくる。いやいや、リジ―がダーシーと互角でなくても仕方ない。

なにせオースチンだもの! 大欲に燃えるオースチンだからダーシーをリジ―の相手に選んだとも言えるだろう。レディーのランクに肩を並べられただけでリジ―に満足させるのか⁉ ダーシーでなければならない根拠はソコだろ?私はそう思うけど、ちがうかな?

勝てそうな相手を選んで力の差を見せつけるって考えかたもあるけど、リジ―は力の差を見せつけようなんてチットモ想わない女性だ。勝った相手には最大の感謝と賞賛を贈れるのがリジ―でありオースチンだ。そんなこと、あなたは当然分っている筈なんだ。 

さあ、ここまでコトの次第が分ってきてそれでもなお世界にはリジ―を恋人にしたいと思う男がたんといるだろう。人はそれぞれだから誰が誰を好きになるも構わないが、私なら二人に芋洗いから倣うほうが面白そうだな‥既製品も決して悪くはないけれど。

こう展開してきて最早私には三女メアリ―しか見えない。あはっ 😚

由美子って廣野だよね!?⑬ リジ―のこと㋑

理想的な相手に恵まれてどなたも例外なしに幸せにみえる。それが恋人であれ、伴侶であれ、世界は二人のためにあるってベストカップルだよ。けれど長女ジェインの幸せは続かなかったの何でなの? 芸能界でも美男美女のカップルがしばしば破局を迎えてる。

ジェインは恋人の心を掴んでいなかったってことなの? だったらリジ―の心は美しく磨いておかなきゃって考えたオースチンだったのかもね。奇妙なようだけど汚れたモノでこすったほうが奇麗になったりする。サンドペーパーで擦ると汚れがすり減る感じ‥。

それと同じように人の心も汚れたモノ同士をゴシゴシ擦りつけることでお互いの垢が取れていく。汚れた芋を何個もボールに入れてゴリゴリゴリゴリ洗うと垢と垢がこすれ合って奇麗になる。それでリジ―が奇麗になるためにダーシーが必要だったってこと。

リジ―が垢ぬけた女になるとき、痛い想いに付きあって耐えたダーシーもハンサムになっている。それこそが真の意味でベストカップルじゃないかな。そうするとウィッカムは何だったんだ?カスだったの?いやいや、リジ―はそうは言っていないみたいだね。

ウィッカムを「好感の持てる男性、素敵な男性の見本」と認識していなかったっけ?そうするとリジ―の感性は歪んでいたの?それともウィッカムを下らん奴と感じるあなたの感性が歪んでいるの?私の哲学はウィッカムを評価する立ち位置にあるみたい。😅