了(りょう)

このブログは「思想」をメインに扱います。私の場合は思想と云っても決して高尚なものでなく「対話重視の思想」という程度のものです。😓

序1.「了」に現状の改善・得心の目的が窺がえる

(この記事「序1」は他の場所用に起したが当ブログへ移行し、改めて利用しています)

ところで了関連で検索したところ面白い記事に出合いました。「 目上の人に「了解」は失礼? NHKニュース 」というモノですが件(くだん)の記事は既に削除されているようです。NHKの記事が削除されようとされまいと私は構わないが、NHKは記事削除を以って「この件を了とした」と云うことだろう。それにつけても面白いと思ったのはNHKでは「了解は失礼か否か」という話題になるんだ。該当記事は既に削除されていて記事内容についての判断のしようが私にはなく些か心残り。だがそれはマア仕方ない。
私には関心があまり湧かないが、「了解」は失礼に当たる言葉なのか‥NHKにとって視聴者は目上(めうえ)なのか、それとも目下(めした)なのか? 目下と思えばこそ「了として削除」したのか? いやいや、考えれば考えるほど面白く愉快に思われてならない。私たちの誰も納得せずに「了」としたい筈はなく、そもそも納得するにはそのことを理解していなければならない。人というものは人生の岐路において解り・納得してこそ心安らかな日々を過ごせるのだろうなあ。場面場面で正確な理解が得られれば納得できて了となる。
納得できないままに終わらされて投了(とうりょう)となっては、あなたでなくても誰ても悔いを残すのでなかろうか。ゆえにNHKが記事を削除するなら視聴者の納得のうえで終了となるのが最上だ。投了でなく、中途半端でもなく「了解」を必須要件とするなら職場の空気は無限に上向くに違いない。了の意味は「終わる」であっても、そこに「さとる(哲・悟・覚)」が含まれていてこそ完了となるだろう。即ち最上の了は「さとる」を含み、下(げ)の了‥誰かの一人合点であれば勝手に削除しあう悪い関係を生み広げそうです。