了(りょう)

このブログは「思想」をメインに扱います。私の場合は思想と云っても決して高尚なものでなく「対話重視の思想」という程度のものです。😓

かぐや姫② 感性+理性=心の世界

感情(≒感性)と理性が争ったら理性が勝つというしかない。そう言える根拠はなんだ? 感情と理性の葛藤に嵌(は)まった人(仮に)さんがいて、この状態のさんは既に感情に負けた姿と言えるかも知れない。だからと云って「感情が勝った」と言えるだろうか?

さんが感情に引きずられたことで「理性の負け」と云うべきだろうか? このような場合、「さんに理性が育っていなかった」とは言えないと誰か断言できるだろうか?  ここで私は、理性は人が育っていく中で育て・育っていくモノと言いたいのです。

感情と理性が争っている状態‥それは感情が一方的に理性を攻撃しているのでなかろうか? 理性は感情と同じ土俵へ降りてきて攻撃するだろうか? 理性が感情を攻撃する正当な訳でもあると言えるだろうか⁉  一方、嫌いとか憎いとかの感情は攻撃的なもの。

感性に2面を見ることができて、1つは負の感情、もう一つは正の感情と言えそうです。正の感情の代表が好きなら、負の感情の代表は嫌いとでも言えそうです。 この正負の感情は容易(たやす)く置き換わるようで、安珍清姫を例に引くまでもないが‥

清姫の大好きな安珍、それが一瞬にして殺したい憎い安珍に置き換わった。未熟な理性の清姫は感情に引きずられた揚句(あげく)‥安珍を焼き殺し、己も滅んだ。 理性が育っていない人格は感情の赴(おもむ)くままに行動して身を滅ぼすことになる。

そうすると感情のままに生きる人生は敗北に通じ、理性を育てた人生だけが人生凱歌の扉を開けるチャンスを得ることができると言えそうです。 即ち、感情は刹那的で、理性は長期的な視野に立つと言えるのでなかろうか‥とココまでは前置きで‥

 

心やさしい感性の持ち主(≒かぐや姫)は晴れて釈放の身となる竹取物語の結末‥きっとご存知ですね!? 娑婆で育てた素敵な感性を捨て去らなければ月の世界へ戻れませんからね、それで薬(?)を飲んで理性の人となってから迎えの車へ乗り込んだ‥でしょう!?

たしかに理性だけのロボット(≒ロボトミーだったっけ‥)に感情はなく、あるいは失われて法の支配に従順になること疑いなしですね。当然ですがロボットに主体性なく、主体者は独裁者たる国法とかでないかしらね。素敵な情報が満載のかぐや姫伝説でしょう!?