了(りょう)

このブログは「思想」をメインに扱います。私の場合は思想と云っても決して高尚なものでなく「対話重視の思想」という程度のものです。😓

正義とか 悪とか‥

正義論を綴ろうと検索していて次下アドレスを見つけた。

http://ncode.syosetu.com/n6861u/

 

文は高校性が載せたものだがシッカリしていて判りやすく、オープンにもなっている。それでココ「正義論カテ」で引用させていただくことにした次第です。なお、最終更新日は6年ほど前で、作者の現在の意思を反映しているとは断定できないでしょう。

それにしても過去に多くの方々の正義論を読んだが「正義に絶対的な定義はない」と大概の人が断定しているのはナンでかな。断定するには証明が必要不可欠なのに私は証明した姿勢を見たことがないのです。まあ、これが今の世界レベルなんでしょうけど。

ところで私は完璧な証明を求めているのではありません。当人なりの証明がなされればその正義論の是非を巡って新しい展開をみることが期待できるのに、どうしてみんな自己完結させたがるのだろう‥自己完結は独りよがりの決着に陥るのでなかろうか。

正義を語るなら対象を決めなければならないのでないか。対象を決めるには仕分けなければならない筈だ。これらの作業は論理に則って進めなければならない筈だ。論理は理性が働く分野だ。さらに感性(≒感受性)抜きで理性を働かせては駄目だろうと展開することになる。。

感性は感情衝動欲望という形で表面化する(≒現れる)だろう。この感性が具わるのが人間であり、人間らしさの根源だろう。すなわち、感情・衝動・欲望を否定して人間(らしさ)は有り得ない。理性は私たちが人間らしくあるために登場することになる。

なぜ理性が登場しなければならないか?感性には素敵(な部分)が具わるが素敵でない(部分)も具わる。(蛇足的に述べると)素敵だけの世界は詰らない。素敵でない部分は工夫によって愉しみに換える知恵が私たち人間に具わっている。工夫は理性が働く分野です。

理性は欲望(感性)を満たす役割を担っている。理性がなければ欲望が突っ走って争いが絶えることがない。争いが絶えなければ私たち人間は幸せ感に包まれることを期待できない。理性が働くことで互いは譲りあい・他者を気遣うプランも立てることができる。

幸せを得るための大まかなロジックを縷々述べてきたが、この青写真だけで目的が達成される訳でないのは明らかで、具体的に作業を進めなければならず、即ち対象を決めて各人の欲望を述べあうことで進むべき道すじが具体的になるのでなかろうか。

ところで進むべき道筋はどこへ向かっているのだろうか?

私ならここから正義論を述べることになる筈なんですけどね。