了(りょう)

このブログは「思想」をメインに扱います。私の場合は思想と云っても決して高尚なものでなく「対話重視の思想」という程度のものです。😓

なんで俺がこんな目に遭わなければならないんだ

被害者の嘆きの声が聞こえてきそうな表題のフレーズ。お気の毒さまと慰める言葉しか見つからないが、これがヒトラーとか、あるいは麻原彰晃が同じセリフを言ったのならアナタだけでなく当然私も『身から出た錆』と異口同音に言うことになるのでないか?

ヒトラー麻原彰晃の悪行は世界中の皆が知っていることであり、隠しようのない事実であれば「身から出た錆だなどとヒドイことを言うな」と誰が言ってあげるだろうか。身から出た錆と云えるのは世間の多くが同調する空気が出来ているからなのでしょう。

当然ですが、あなたに同調したい私なのです‥と、ここまで書いてきたが念のために付け加えておかなくてはならない。ヒドイことを言うのはいけないと私は思う。ヒドイことを私たちは誰に対しても云うべきでないと思うのですが、あなたは如何だろうか?

酷いか酷くないかの違いはいったい何だろう? 尤(もっと)もらしく分別有りそうな風に言うだけならヒトラーでも麻原彰晃でもどんな悪党でも云えるのでなかろうか? 悪党が口から出まかせを言っても彼らは地獄へ堕ちるだけと私は憐れむことになる筈だ。

正義を知らない悪党を憐れむべき私のスタンスなのです。彼らを憐れみはしても私は免罪符を与えるなんてことはしない。免罪符は発行しないが今のままでは地獄へ堕ちるしかない彼らを救う術(すべ)は知っていて、その目的の身から出た錆発言なんですよ。

気づいて欲しい・救ってあげたいと思って口にするフレーズは酷い言葉である訳がない。即ち、酷いか酷くないかの違いは正義を知っているか知っていないかの違いに通じる。私は母に酷い言葉を浴びせられても酷いと感じなかった‥そういうことなのですよ。

酷いことを言うなと尤(もっと)もふうに優しい言葉を掛けられても私は納得できそうにない。言霊は優しい言葉に具わるのだろうか? 言霊は優しい心に具わるのだろうか?いやいや、言葉に言霊が具わるなら、テープで優しい言葉を流せば済む筈ですね。

私は思うのです。優しい心に触れることなく育った人は正義を知らず・罪を知らず‥それで優しい言葉を使っても優しい心を掛けてあげられない。それならそんな人たちを私は憎むべきだろうか?それとも憐れむべきだろうか? あなたはどちらだろうか。

あなたの正義は何だろう‥?