了(りょう)

このブログは「思想」をメインに扱います。私の場合は思想と云っても決して高尚なものでなく「対話重視の思想」という程度のものです。😓

一喜一憂する?

感情感性の違いが分りにくい人が多いようです。どちらも心の働きに違いない。心の働きなんてものは確かなものでないからミスは起きるだろうし、それで私たちは人の心の働きをオイソレと信頼できなくて当然かも知れない。感情といい感性といい結局は好い加減なモノだから信頼するに値するのは理性ということで落着くかも知れない‥が。

それで私なりにヤサシイ言葉で説明してみたいと思う。専門用語がお好きな人はヤサシイ言葉をつかった日常語での説明を受入れ難いかも知れない。つまり、高等教育を身に着けた意識をもつ人は平易な言葉で幼児に教えるように説明されると馬鹿にされた気分になると言えばいいか、プライドが傷つくと云えば好いか‥お分かりだろうか?

仮にも(他者より)貴ばれたいという意識は幼児並みの扱いにムカつくだろうし、並みの人と同じように接せられるとプライドが傷つくことになるのはお分かりだろうか?そのムカつきとかプライドが傷ついたときに傷を修復しなくてはならない。それで修復するために相手を罵る感情は感心できなくて「感情的にならず冷静になれ」と諭(さと)す。

相手を罵るのでなく己を責めることも考えられる。己を責めて「俺のバカバカ」というユトリがあるならいいが「俺を赦せない」という気持ちが高じると感情的になって己を罰しかねない。その場合は自己変革を目指すのが最善だろう。自己変革を目指すのを「感情的になるな」と諫(いさ)める人はいるだろうか?「感情=悪」と決っていない。

嬉しい感情、悲しい感情、悔しい感情、怒りの感情など‥私たちには感情が具わっている。怒りの感情と云っても既に述べたように自分を自己変革へと向かわす働きも出来るが感情的になってしまうと判断力が弱まる。慣用語としての日本語の「感情的」は悪い意味で使われ勝ちですが、善い意味の遣いかたを私たちは開発していくべきでしょう。

つまり、フレーズ「感情」には色が着いている。その点、フレーズ「感性」は色がまだまだ着いていない。即ち、先入観が働きにくい無着色の言葉のほうが無難で遣いやすいのでなかろうか?言葉は時とともに意味が変ったり価値感が変ったりして、例えばカタワという言葉に拒絶反応を起す人はいるし、言葉「黒んぼ」に反発する人がいる。

難しいフレーズを遣ってもらったから自分は貴ばれていると思うのは勝手ですが、世間体を重くみる人はそう云ったことに一喜一憂するでしょうね。中身を大事にせずに見映えに気をつかうのは如何なものか。感性云々と賢そうに述べたところで感情を大事にできない人の感性は色褪せていくのでなかろうか。あなたもそう思うでしょう?(笑)

それにしてもクールヘッド&ホットハートという。このハートを感情と訳そうが感性と訳そうが感情に振り回されている心の人の正義はイカガワシイ‥でしょう!? 😅