了(りょう)

このブログは「思想」をメインに扱います。私の場合は思想と云っても決して高尚なものでなく「対話重視の思想」という程度のものです。😓

幸せを求めるなら

私たちが知っている言葉「本能」といっても本(もと)から(生物固々に)具わっているのでなく、後付けで具わった癖と云えるでしょう。ポジティブに具えたかも知れず、ネガティブに具わったのかも知れず‥ですが、私たちの未来に関して新たな本能をポジティブに具えるべく努めることは可能です。

ポジティブゆえに善い本能を求めることは自由ですし、望まなければネガティブゆえに善くない本能に染まってしまうかも知れない。望まなければ善い本能が具わる確率は限りなく低くなるでしょう。イワシ玉で考えれば簡単に分かることですが、イワシ玉の真中へ潜り込もうと努力しない鰯は限りなくイワシ玉の外縁を居場所にするだろう。

ポジティブに取組んでこそ願いどおりの未来を得る確率は高くなる道理なのです。そのように、争い合う関係で未来を過ごそうと願わなくても、ポジティブに取り組まなければ争い合う関係で未来を生きることにもなるでしょう。未来を善く過ごしたければ(しい義)に通じなければ確実性は限りなく薄くなるとお分かりになるべきです。

幸せな未来を得たければ正しい方向へ、善い姿勢で、取組むのが確実です。幸せになりたいと願って幸せになれるのではない。Eテレ「100分 de 名著」で哲学者・三木清の「人生論ノート」をやってました。そのなかで三木は「人は幸せを目的に生きていい」と綴っている。私も人は幸せが目的でいいと思う。だけど幸せへはどう辿るのか?

幸せを目的にするなら何はさて置いても正義を考えなきゃいけない‥そうでしょう!? 三木清は哲学者だからその哲学者目線で幸せを語ったのだろうし、そうすると三木清の幸せ論の前提条件として正義論が了として据えられていることは当然なのです。正義抜きの幸せなんてものは有り得なくて、そんなことは当然あなたもご存知でしょう。

三木清人生論ノート等を全部読む余裕はないが、100分de名著なら100分で読みおえる計算だから、もう一遍だけ見返しておきたい。都合が付くようなら次回か、あるいは数日中に読んでココに記しておきたい。幸いにも岸見 一郎先生の解説付きだから大船に乗ったような安心感があって、読み返しても大して時間は掛からない気がする。