了(りょう)

このブログは「思想」をメインに扱います。私の場合は思想と云っても決して高尚なものでなく「対話重視の思想」という程度のものです。😓

三木清(人生論ノート)⑧ 主体者意識が大事だろ?

虚栄と創造について語ってみます。初め、アダムに虚栄はなかった‥でしょ?親(体者)の保護下でアダム(客体)は只々護られつつ育っていった‥でしょ? イヴが来て蛇が介入して、つまり他者との関係のなかで社会性を学ぶことになる。社会の厳しさも味わった。そして虚栄(心)が芽生えた。他者の目を意識して虚栄に目覚めた‥でしょ?

そうすると虚栄は他者を意識するところで生じるようです。アダムの場合はイヴの視線を感じて虚栄が芽生えた。それで衣服を身に纏(まと)った。虚栄が善く成長するとアダムはイヴを飾ってあげたくなるのだろうな。つまり、自分のための虚栄から社会のための虚栄へと成長していく。虚栄は無くても生きられるかも知れないが生活を豊かにする。これは善いほうの虚栄。そうすると悪い虚栄は他者を・社会を貶めそうですよ。

親(主体者)の世界で子(アダム・客体)が創造することも考えられるが、それは親の許可の範囲内に限られるのでなかろうか? 想像は子の自由にできても、創造は子の自由にできない。木の葉を衣服に見立てて遊ぶ‥この程度は日本では普通に行われても旧約の世界では客体の自由にできるのは限られるようです。アダムもイヴも衣服を勝手に創造して親(主体者)の世界から追い払われた。

手付かずの世界があって、そこなら自由に創造して構わないとなったようです。荒れ野を耕そうが木を伐ろうが主体者に叱られたと一言も書かれていない。アダムは土地を耕し、作物を育て、狩りをし、イヴは料理を創造し新しい衣服を創造し、アダムとイヴは好きなだけ創造を愉しむことが出来たという記録‥(旧約に寄れば‥ですが)

いやいや、仏教徒ならでは旧約の粗筋に沿って要点を述べる自由を活用しました。エデンの外は人類の自己責任で創造することを許されてますからね。ただし、自己責任は厳しく課せられますから「俺だけ、おれ一人だけを見逃してくれ」は通らないでしょう。この世界の責任者(=主体者)として人類を見立ててくれた旧約(≒fable)でしょうね。

善かれ善かれと進めていきたいものです。😅