了(りょう)

このブログは「思想」をメインに扱います。私の場合は思想と云っても決して高尚なものでなく「対話重視の思想」という程度のものです。😓

三木清(人生論ノート)⑫ 創造と 正しい軌道と

虚栄に対する三木清の捉え方を今少し見ていきます。三木は(1)虚栄の徹底を説く。また(2)虚栄心の小出しを説く。そして(3)創造によって虚栄を駆逐するとも述べる。私には三木が何を言いたいのか分らない。そもそも三木は虚栄は人間そのものと云い、さらに虚栄は人間的な感情と云う。人間そのもの・人間的な感情を失くせば最早人間的でなくなり、人間性は失われる。そして三木は人間的な感情の駆逐を説いていく。

三木は虚栄の何たるかを知らないようだ。しかも三木は創造の何たるかが分っていない。そういったことが判っていれば誰もが理解するように説明した筈だ。分りやすい説明があれば間違った結論へ読者を導く過ちもなかったとなる。三木は「自分の意志で人生を創造することで虚栄を駆逐できる」と云うが、自分の意志を以てしても創造の意味が曖昧でどうして正しい結果へ向えるだろう。 創造とは何ぞや?正(義)とは何ぞや。

己の意志を以ってしても正しい軌道を知らずしては創造が創造にならず、結果的には破壊へと必然的に至るのです。ユートピアを創造しようとして仲間を殺害した連合赤軍が有名だが、まさに創造を知らぬ者たちが破壊に終った事実に真直ぐ向き合わなければならない。ユートピアだの、創造だの、何だのと魅力的に感じられる単語を見つけてきて尤(もっと)もらしく切り貼りしてみせても中身がないのだから破壊に終るしかない。

赤軍の若者たちに不純な動機はなかったとしても、正しい軌道を知らないで虚妄を並べて人々を誤誘導するときは、社会・世界に不幸を広めるという一点で不純な動機といささかも変らない結果へと導く。私はそう思うが、あなたのためにはそうでないのか?

 

(平均化について)
嫉妬は平均化を求める傾向があるとする三木のフレーズについて私の理解を述べるなら‥‥平均化が善いとか悪いとか私は捉えない人なのです。こう書くと「自分を高めようとしなければならない」とする岸見一郎教授は間違っていると云いたいのかと早とちりする人はいらっしゃるかも。だが私は早とちりは感心しないとする立場なのですよ。

さて、わたし、ブスで困っちゃうというフレーズに私はどう反応するだろう‥この発言者はどんな想いでわたし、ブスで困っちゃうと言ったのか? そんなこと凡愚の私に分かる筈がない。伊集院光氏も発言者の気持ちには触れていない。それで触れた人は‥と云えば、低めようと反応した人 and 高めようと反応した人もいるってことが分る。

それで三木ならどう反応するだろう?三木は平均化を求める傾向があるとのみ述べたようだから、このフレーズに限れば、「低めようとする奴がいる。高めようとする奴もいる。低めようとする奴と高めようとする奴は同程度の人数か!」 だが悪く捉えるときの三木は「抜駆けする奴の足を引張って平均化は成る」と‥こんなところかな。

私に云わせれば‥そもそも世界は平均化される作りになっている。平均化が駄目なら世界は粗悪品だ、平均化が好ましければ世界は良品だ。世界は日々凸凹に変遷する。平均より上の状況もあれば下の状況もみられる。その度に一喜一憂する生き方は善い生き方なのか悪い生き方なのか? あなたは痛快な人生にするのか?詰らない人生にするのか?

わたし、ブスで困っちゃうと言う発言者は凸凹のどれかだ。だが肝心なのは主体者(即ち私)であり、私の人生は正しい軌道に沿って建設しなきゃ詰らないじゃないか。破壊でなく建設的な反応をするのでなければ私の人生は無駄に終ってしまう。結局、平均化を問題にするよりも、千変万化する世界く対処する能力を具えなきゃ‥となる。

世界に善く関わる能力‥岸見教授は自分を高めなければいけないと述べておられるが、自分を高める目標として具体的・建設的な生き方を探るべきでしょう。嫉妬は破壊に通じるが、他者への愛は建設に通じる。自己愛は嫉妬に通じやすく、結果的に破壊に通じやすいから自己愛は小さく、他者愛は大きいと云えそうですが、いかが?

母性愛は他者愛に通じるのでなかろうか?母性愛は己の幸せを目的とせず、愛する他者(子供)の幸せを目的とする。私たちはどのようにして他者愛の心を育てるべきか?いやいや、他者愛に関しては忍耐に優れた女性が断然優れているように思えて、女性の前で偉そうなことは私にはとてもとても‥😅