了(りょう)

このブログは「思想」をメインに扱います。私の場合は思想と云っても決して高尚なものでなく「対話重視の思想」という程度のものです。😓

三木清(人生論ノート)⑮ 曖昧模糊として

三木清は「虚無から脱出できる」と考えたようだが、脱出の意味が明らかにされず曖昧だ。仮にで生れるがそれなら泡は海から脱出した状態なのか? それとも海から脱出していない状態なのか? 私はこの世界で生れたがそれなら私はこの世界から脱出した状態だと三木は言いたいのか? 

三木の文の表現が曖昧なのは三木が己について語ろうとしないからでなかろうか?三木は世界から脱出しているのか?脱出していないのか? 三木は虚無から脱出できると書いているから虚無から脱出しているのか、脱出していないのか明かせる筈です。それなのに三木はどうして明かさないのか?

構想するのに欠かせない物があり、それがなにか分っていたら三木自身について具体的に分りやすく述べた筈。なにせ、脱出は重大事であると三木は知っているべきで、だがどうでもいいってんなら三木の文はどうでもいい駄文で決るのに三木か肝心を明かさないのは何故なんだ?

 (私の)世界に於いて、
そこに何かがあれば、その何かは素材であり、材料であり、キャンパスになり、道具になり、知識となり、知恵を生み、体験を生み、失敗を生み、喜怒哀楽を生み、共鳴を生み、そして新たな何かを生みだし、新たな切掛けを生み広げ、新たな可能性を生み広げ、そのようにして変化は止まない。

元(はじめ)は微細・微妙な変化・動きかも知れず、意味のなさそうな揺らぎかも知れず、妄動かも知れず、妄想かも知れず、やがて象(かたち)を成すかも知れず、秩序だてて意識し、思索し、創造し始め、行動し、価値を知り、影響し、動かし、育ち、連動するも‥即ち元の生が条件かも⁉

虚無からの脱出が現実を捨て去ることに通じるなら、現実逃避にしかならず、現世を捨ててユートピアを求める様子は、内道なら小乗に似て穢土を捨て極楽を求めるような、外道ならこの世界を脱して天国へ向かう夢のごときか、そういった過去の智者・聖者の言葉に潔くなるべきでなかろうか。

過去の知性の言葉に学ばぬなら独自の言葉の開発から始めるべきでなかろうか。哲学に盗みの文化は似合わず、哲学は真似び(=学び)合いに違いない。このようなことを思ったのは、ハテ、何でかな⁉ 現実を捨て去る思想は武力革命や戦争等があるようです。捨てず、善く対処するための現実‥かも。

なお、現実国家集団と置き換えても矛盾しないのが好い。もちろん私のためには‥の条件付きだが、あなたにはいかがだろうか?