了(りょう)

このブログは「思想」をメインに扱います。私の場合は思想と云っても決して高尚なものでなく「対話重視の思想」という程度のものです。😓

三木清(人生論ノート)⑱ 述懐

厚労省調べで65才以上の4人に1人認知症認知症予備軍という。 認知症に限らず、発達障害であれ、風邪引きであれ、内的要因外的要因が複雑に絡むと言えそうでこれは誰にも悩ましいことのように思われる。 内的要因と云うも外的要因が絡んだ結果だろうし、外的要因と云うも内的要因が絡んだ結果に違いなく、しかもこの仮説は誤りでないからこそ病む人は奇妙な言動をするとも思えて、だが奇妙さの自覚症状は少ない‥⁉

三木清感情に流されるのは愚かと思っていたのでなかろうか!? その思いは人生論ノートの其処彼処に漂って理性的な三木の存在を頻(しき)りに訴えたと捉えることが出来そうだ。このように展開してきて私は三木に人間臭さを感じはしても、そんな三木が嫌いな訳ではない。なにか問題があるとしたらそれは私でなく三木の問題であって、三木の問題は三木自身が本気になって真剣に悩みながら、善い解決策を探るしかない筈です。

生きていることは希望を持っていることであると三木は言うが、そうであれば希望を持っていない人は動いていても生きていない状態‥それはつまりゾンビだろ?しかも現実には希望を持っていない日本人が多くないか?もしかして三木は短絡的に過ぎないか?

三木の思考過程を観察する私の脳裏に次の三フレーズが浮んでくる。㋐感情に流されると人間は希望を見失う ㋑ゾンビに感情は認められない ㋒人は希望を失くすと生きていられない 。この三フレーズを否定すれば三木は矛盾に陥って自己否定することになる。

しかも自己否定しない三木は世論を最悪の状態へ誤誘導するという害悪を為してはいないか!? 「いやいや、そうじゃない」とは(幼児でも)言える。地べたに寝そべって「No! No! イヤじゃイヤじゃ」と駄々を捏ねつづける幼児がいるのを私は実際知っている。

(そんな幼児に)哲学者は擦りよるべきか? 私はそうは思わない。すり寄るほどにワガママ度が増す駄々っ子でないのかな‥私はそう思う。前にも書いたが、三木の姿勢は相反する左右双方にすり寄って見える。故に左右双方から命を狙われても不思議ではない。

悲観主義はペシミズム(pessimism)の訳語らしい。厭世観(えんせいかん)とも云い、最悪を語源にするようだが、死は恐くないとか、死んで幸せになるとか三木は死を願った? 私には黒人霊歌の「働け働け死んだらあの世で救われる」と共鳴して聞える。

死から目を背けず 死の恐怖に惑わされず生きたいと三木は述べる。死について考えることが無意味であるなどと私は言おうとしているのではないとも述べる。死は観念であるとまで述べている。あたかも死を魅力的に描きたい三木がいるみたいではないか?

怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。

"Wer mit Ungeheuern kämpft, mag zusehn, dass er nicht dabei zum Ungeheuer wird. Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein."

ニーチェ善悪の彼岸』で上のように述べた。この言葉に照らすなら死に見入られた三木清と云うことになるのでないか? 三木に見入られた者は死に見入られし者と云うことになるかも知れず、それで私は希望を持てない人に希望を持てる哲学を語りたい。

私は「生きることは正義」とするスタンスなのです。これも善悪の彼岸のフレーズに照らすなら‥私は生きることに見入られた者と云うことになる。生きることを正義とするから生きる正義に見入られた私は楽観主義と云うことで決りなようです。

三木清を通して生きる正義まで導きだすことが出来ました。即ち最善説へと結びつけられた気がして、それで三木清(の善き援助を得たこと)に感謝もすることになる。謝。

 

さて、ここまで長々とお付き合いくださり、ありがとうございます。認知症というも内的要因外的要因から発症したと考えるとき外的要因に悪しく引きずられてはならないと思うし、内的要因は自分の生き方を改めるところを第一歩とするべきでなかろうか?

死を見つめ(≒死に囚われて)暮しては詰らない。あなたには誰かを恐れる必要があるだろうか?怒らせて職を追われることを考えたら恐ろしくて真っ当な言葉を口に出来ない筈です。真っ当に語れないあなたは相手を怒らせないことにエネルギーを使い切る。

エネルギーを使い切ったあなたの脳味噌はヌケガラになってしまっている。としたら、みずみずしさは失われて潤いのない脳味噌に誰の言葉が届くだろうか?私はそう思う。潤いのある脳味噌をいつ失くすべきだろう?私は生きている間は失いたくない。

生きることを正義としないあなたはご自分自身を傷つけて悔いを残すのでないでしょうか?生きることを正義として、楽観主義で毎日を暮せる思想を最善説と云うだなんて、ホントに素敵ではありませんか?😅