了(りょう)

このブログは「思想」をメインに扱います。私の場合は思想と云っても決して高尚なものでなく「対話重視の思想」という程度のものです。😓

維摩詰② 煩悩イロイロ

釈徹宗氏は流石に教育者だと感じた。いろんな教え方を工夫なさってらっしゃるのだろうけど、その論理は私の脳裏にもスンナリと入ってくるみたいだ。教える側に色んなタイプの人がいらっしゃるけど、それは教わる側にも言えることだろうな。いつもは多弁な伊集院光氏が今回は頻りに耳を傾けているのを感じたが、それは私の勘違いなのか。

維摩詰は在家の人。それで断食行の釈迦で画像検索したら頭上に髷(まげ)がある。BC500~600年ほども昔のことだから私に確かな事実は分らないが、髷が無くなったのは後のことであり、当初は有ったと仮定しておこう。そうすると在家と出家で髪型の違いは早い時期から見られた。断食は煩悩というか、執着というか、欲を捨去る目的だったか?

じっさい髪を切ると腹が決るかも知れない。その意味で現在の出家者が坊主になるのも分る。制服を身に纏って心身を引締めようとするのはどの職業でも似たようなものか。それにしても腹が決らなければ仏道修行に本気で取りくめないとしたらそれは私だけかも知れないが、有名校の制服を着ると腹が決って、気分は満足しやすいのに通じるか。

いやいや、神聖な気分を盛り上げる場にも拘わらず煩悩・欲望の炎は渦巻くものらしい。それで釈迦自らが髪を切って弟子たちに手本を示す必要があったとも思える。なにせ釈迦は王座・王権を捨てて断食行に入った程であればマズ物欲に囚われず、社会に静謐(せいひつ)をもたらしたい、そのために法を究めたいという欲を持っていたとは思う。

欲を捨て去る目的の断食行とも云えて、だが釈迦は断食行を止めて悟ったと言われていて、ゆえに断食行に私は過食対策ほどの意味しか感じない。結局、日常の暮しに悟りを得るのが好いように私は思っている。だがそうは言っても断食したことで断食をヤメラレテ、それで日常の暮しに悟りを得ることを学んだ釈迦であることは疑いないだろう。

断食を筏(いかだ)に例えれば、断食を止めたことは向う岸へ渡ったことに通じ、筏の用は終っていて、この1つの悟りを得たあとは次のステップへ進むのが当然で、これを時間軸で捉えるとき、釈迦の時は断食の筏に乗り、私の時は断食の筏は既に用済みになっている。このように仏教ではを重要なキーワードとして注目しなければなるまい⁉

釈迦の修行時代の時に倣(なら)って私が断食行をするなら時を知らない物の怪が昼間に飛んでいるようなもの。止まった時計に従っては小学一年生が5年経っても10年経ってもあいうえおを学習しているようで時に合わないのは誰でもお判りになる筈です。即ち釈迦の時代から現在(末法)の時代へと時間は正しく進んで当然と云えないだろうか!?

ぼちぼちと少しずつ進めてまいります。😅