了(りょう)

このブログは「思想」をメインに扱います。私の場合は思想と云っても決して高尚なものでなく「対話重視の思想」という程度のものです。😓

維摩詰④ 権利か?義務か?

私は仕事に違和感を覚えます。唐突で‥なんのことかお分りにならなくて当然ですが、仕事ですから私の精一杯を務めるのは勿論で、だけどそんなことをココで語りたいのではありません。違和感は覚えるけど仕事は大好き‥どうにもややこしいですね!? 😅

仕事には職場・職業とか稼ぐといったのイメージが付きまとう。だがこれが役割だとのイメージに置き換わる‥もちろんドライな気分になれない私だけの問題かも知れず、だけど仕事と役割はちがうと心のどこかで主張する声があるのは確かなのです。

維摩詰へのお見舞いを頼まれた高弟や菩薩たちだが誰も行きたくない、文殊菩薩が渋々見舞いの役目(貧乏くじ)を引いたのかな。この役目に義務感とか仕事と似た感覚を感じたのは私だけかも知れないが、出来ることなら引受けたくない割の合わない仕事

割の好い仕事( ≒ 仏になる早道)にあり付きたい(私たち)凡夫かも知れないが、失敗したり恥をかいて計算に合わない。栄誉を手にするチャンスはどこぞに落ちてないかと鵜の目鷹の目に成りやすい職場かも知れず、その点、役割を担う権利は譲りたくない?

親の役割は生甲斐に通じる。社会の役割の一端を人々に担わせてあげたく思うのは私だけかも知れないが、それは著名人や権威・権力が担うものと相場は決っている気がする。世間のことは皆の好きにして奪いあったらいいが、菩薩は権利か?義務か?ハテ?

釈迦の時代、菩薩は割りが好かったか悪かったか‥私は知らない。それで現代のあなたは菩薩志願をなさいますか?私が現代の菩薩たちを尊ぶのは彼らに仕事を見ず、役割を担っているのを感じるからと言えそうで、彼らは役割を義務と見ず、辛抱強いようだ。

知識層に含まれなくても、じっさい物知りとまで云えなくとも、浄・不浄に囚われない心の現代の菩薩たち‥だろう。仏教本に精通していなくても何を為すべきかを知っている現代の菩薩とも言えそうです。尊ぶべきを尊ぶ‥その程度は心得ていたい私。尊ぶことも私の権利と捉えたい。仏教を得々語るだけなら恥かしい。私はそう思うのです。😅