了(りょう)

このブログは「思想」をメインに扱います。私の場合は思想と云っても決して高尚なものでなく「対話重視の思想」という程度のものです。😓

維摩詰⑤ 出家 & 在家

舎利弗は釈迦にペコペコ諂(へつら)っていた。そう言える根拠は舎利弗維摩詰を侮(あなど)っていた点が挙げられる。そうすると智慧第一とされた舎利弗らしからぬ言動ではないか⁉ これはいったいどういう事だ?今回はこういった視点から観てまいります。

純粋な気持ちで釈迦に弟子入りした舎利弗だったかも知れないが、いつの間に釈迦と相反する態度に染まったのだろうか?いやいや、舎利弗が悪しく染ったのであればどうして釈迦がそのことに気づかないものか。これでもまだマシになった舎利弗でしょう。

そうすると卑しい舎利弗像と尊貴な釈迦像が見えてくる。高貴な王族の出自の釈迦は卑しい舎利弗を弟子として育てあげ磨きあげて世界を託そうとして青写真を描いたのだろうな。なにせ紀元前5~600年も昔の人類のデキは現代のあなたと全然ちがって当り前。

卑しい舎利弗が指令する立場に着いたとしたらどうだ?犬のリーダーを観察すれば分かることですが親分が子分を顎(あご)で扱き使ってナニか不都合でもあるだろうか。親分感覚で子分を睥睨(へいげい)する舎利弗ならば‥つまり舎利弗は人を侮り見くだす。

このように考えてきて舎利弗出家(信者)はスタッフ在家(信者)はラインと捉えていたと理解できる。なにせスタッフは企画したりラインに指示をだす立場。あなたはスタッフが上、ラインは下と考えないかも知れないが、なにせ卑しい舎利弗‥でしょ!? 😅

仏教伝統的にこの流れを汲んでいる‥ということ、お分かりになりましたでしょうか?ライン(下)を見舞ってきて欲しいだなんて‥釈迦はいったい何を考えてんだとか思ったら釈迦に反旗を翻した提婆達多のように恐ろしい地獄が口を開けて待ってる‥。

出家(信者)はスタッフ在家(信者)はラインと思っても地獄へ墜ちる訳ではない、けれどそれにしても釈迦は人間に上下のランクを付けただろうか?仏教を知らない偽者は「俺が上だ、俺を尊べ」と言いたいのでしょうね。偽者はどうしようなく愚かだ。

そういったことも、明日の第4回では明かしてくれると好いなあ‥ 😅