了(りょう)

このブログは「思想」をメインに扱います。私の場合は思想と云っても決して高尚なものでなく「対話重視の思想」という程度のものです。😓

維摩詰⑪ 縁起(えんぎ)

世界を哲学するとの概念と縁起の概念が浮びあがる。それで、に通じ 、縁起に通じたとしてそれでどんな好いことがあるだろう?内道・外道の経典全てに通じたとしてどんな好いことが保証されるだろう?根拠なく好いことを願うのは道理に合わないだろ⁉

即ち真理を知り尽くしているから好い結果が得られるのではない。真理を真に知り尽くしたら好い結果だの悪い結果だのという如き分別心が出る訳がない。真理は憶えるものでなく、真理は覚るものでないかな!? 覚るには須梨槃特愚直さが優れると私は思う。

道理を学び、縁起に通じ、空に通じ、そうして知識を増やした提婆達多は地獄へ堕ち、空にも縁起にも暗かったが須梨槃特は回り道することなく純真に前進したと私は理解している。なまじっかな智恵を持ちながら提婆達多く使わなかったと云えそうです。

提婆達多は根拠なく地獄へ堕ちたのでなく、須梨槃特は根拠なく成仏したのでない。行く支度が整えばこそ行くのだろうな。そういった縁起に通じたら幸せになれるものでもない。其処が地獄であれ極楽であれ、行くのであれば心して行きたい。私はそう思う。