了(りょう)

このブログは「思想」をメインに扱います。私の場合は思想と云っても決して高尚なものでなく「対話重視の思想」という程度のものです。😓

エミール① 対立か?進化か?

このところ維摩詰(ゆいまきつ)を観てきたが教育の重要性を感じる。教育論と云えば哲学者ルソーの『エミール』がよく知られるが、東京歯科大学哲学教室教授西研が「100分 de 名著」でルソーを講義なさってて今回は氏のお知恵を借りたいと思う。

荒れ野の自然に委ねられる生き物は野生生物へと育つだろう。そのように人の子が野生生物として生きて構わないとあなたは思わないだろう。ルソーは仮想の環境・思想(教育)・体験・息子エミールを設定する。つまり、理想とする子育てを試みるルソーだ。

人の子はどう育つべきか? 野生のままは駄目だ‥この思いから妄想も想像も生れる。それは思想・哲学を育てることに通じる。妄想で潰(つい)えるか?想像を発展させて具体的なビジョンへ育てるか?深まる思い・哲学は妄想からも確かなビジョンを描きだす。

野生か 教育対立軸から入ったルソーのようで、維摩経の講義で釈徹宗氏も世界を二項対立で捉えていたが、そうすると世界を対立軸で観るべきか?それとも時間軸で観るべきか?対立関係に共鳴する遺伝子が人には既に組込まれてしまったとも考えられる。

私的には既に組込まれた遺伝子をないことにする意味を感じない。人が進化すべき方向・角度・スピード・パワー‥そういったベクトルの彼方に真に望まれるべき人間像が現れそうだ。どんな負の遺伝情報も対立軸で終らせず、時間軸上で善く成長させたい。

(余談だが)削除上書きでは上書きが優れそうだ。負の遺伝情報を外科手術で切除するように綺麗サッパリ無いことにしたい思いはあっても、それでは負の遺伝情報を手に入れた意味(≒価値)が無くなってしまう。の遺伝情報もの働きをする世界の不思議。

(閑話休題)対立から入ることで対立の負(≒落とし穴)を察知することになる。ルソーにも負の経歴はあったようで「お前が言うな」みたいな批判に晒(さら)されている。悪意ある誹謗(ひぼう)で仕事を失ったルソーかも知れず。その悪意を正に替えたルソーかも。

悪意(≒負)を世界に役立てる(≒正)‥そのために時間軸が優れると云える訳です。糞(負のイメージ)を栽培(正のイメージ)に変換するには野生より文化が優れるとなる。強いて糞を作る意味は少なく、ついでに出来た糞の活用が気分的にも好いのでなかろうか!?

放っておいても熟成して糞は滋味豊かな養分となって大地を潤し、生き物を育てて、美しい世界に貢献することになる。いやいや、糞などと、私としたことがハシタナイ。😅 対立から始まった世界かも知れないが、協調・熟成・緑の大地と、が好ましいかも。