了(りょう)

このブログは「思想」をメインに扱います。私の場合は思想と云っても決して高尚なものでなく「対話重視の思想」という程度のものです。😓

エミール⑥ 親の脛 皆の脛

自然人社会人という捉え方は納得しやすかった。

嬰児(えいじ)は確かに利己の塊りだ。人との関わりのなかでいつまでも利己の塊りという訳にいかないが、人は基本的に利己に違いない。朝一番の私のニッコリ笑みに嫁は喜んでくれるが、嫁の喜ぶ姿に接したいのは私の欲。只、一方的な欲は影を潜めている。

世界市民(≒社会人)は一方的な欲を剥きだしにしないだろう。人の喜ぶ姿を見て愉しむなんてのは受け入れられやすい欲であり、それでも利己に違いないと考える。そのように己の利益が皆の益に繋がるなら問題ない。だが世界は他人はそう甘いものではない。

他者に利得感を与えることは容易くない。それがまた民主主義は難しいと言われる所以でもあるが、だからといって奪い合ったり騙し合ったりが横行しては世界が荒れる。ルソーはみんなのためを考えないようにしようと思いついたが慧眼(けいがん)に思える。

ルソーに子供が5人いて、みんなで親の脛(すね)かじりをしたら親は倒れてしまう。親が倒れたら全滅の破目に陥る。ルソー自身も親が倒れて齧(かじ)る脛を失って辛い想いをしたのは周知の事実。その辛かった記憶がみんなのためを考えないようにしたのか。

飢えた子に食うなというのは酷かも知れず、食うなと云えば余計に欲しくさせてしまう。とはいえ喰い尽くしてはホントに困る。ここはやっぱり責任感を育てるしかないと、そんなふうに思い至る。ナルホド、ルソーの飢えた記憶が価値へ変換した瞬間か。

イソップ狡い狐が肉を分けてくれる寓話があって、他人まかせにしては痛い目に遭う訳で、欲しい者が自分で賢く考える習慣を身に着けるのが最善のようです。好きなだけ食べても好いが明日食べる分は残しておかなきゃとルソーは考えたらしいが私もです。

いやいや、賢いあなたには簡単な計算かもしれず、私の場合は吾が身に当てはめて考えなきゃ分からない‥難儀なことです。あは 😅 食べ尽くしては牛は居なくなり、米は無くなり、野菜は無くなり、清水もなくなり‥これで私も少しばかり賢くなりました。

親の脛も、地球の資源も、酸素も、飲み水も、なんでも底をつく。世界の供給能力と相談する知恵を子供のうちから付けてあげられたら好いなあ‥な気持ち。(食うな食うなと)制限するよりどんだけ価値的か‥私も今は、その程度まで進んできているようです。