了(りょう)

このブログは「思想」をメインに扱います。私の場合は思想と云っても決して高尚なものでなく「対話重視の思想」という程度のものです。😓

エミール⑨ 背中で教える所

真似(まね)びに始まる学びだが、 生き物は(親を)真似る中で適応能力を身に着ける。 親のするようにしか子は成らんというが真似に人(≒生き物)が生きるための智恵であり、真似できる人だけが自力で生きていける。結局、手本を重視しなければならない。

お手本を示す人は好奇心を燃やしているか?あなたは好奇心の塊りですか? 現代人は目的地までの最短時間を重視する傾向が強くないか? 寄道したり道草を食ってはいけないと幼少期から繰返し教育されてきた私。寄道が苦手な私だが、コレどう思われますか?

寄道は感心しないと考える人は現実に多いのでなかろうか?仮にあなたの使用人が道草食ってたら「キミは仕事をなんだと心得ているのかね」と思いそうだが‥!? 「勉強も遊びも仕事も集中してやれば良いじゃないか」と思いそうでもある‥!?  ちがいますか?

集中力を高めるで検索するとノウハウがずらっと出てくるし、対効果検索すると費用とか投資とか時間が生む利益を高めるノウハウが出てくるが、これらの感覚は高い仕事率価値を置く所に始まるみたい。私は高い仕事率がいけないと言いたいのではない。

(朝ドラ「ひよっこの求職の場面にも感じたが)
生産工場は仕事や社風に適合できる人材が能力的に優れていると見るだろう。卒業生の就職先に奔走する先生は生徒が職場に適応できるかどうかを考える。人材には適合能力が重視されるし、卒業生には適応できる職業・職場が求められて当然かもしれないが。

ともあれ、イキナリ荒れ野に放り出したアダムを保護者は護ったようで、カインには適切な教育がなされず未熟なままだったようで、アベルは思いっきり甘えて育ったようで、適切な教育が施されてこそ世界の荒波に耐えられる大人へ育つのかも知れません。

横暴なようでもアダムを見放さない主が好いように、エミールに対して完璧な教育を施したとは言えないルソーのようでも子どもは親の背中をしっかり見て学ぶようですし、未熟なルソーは子育てしつつエミールに学ぶ‥学び合うとき、人は互いを尊び合える⁉

親が子を尊ぶ所で子どもは人を尊ぶように育つのでなかろうか。人を尊いと覚えるべきか?人を人材と覚えるか?どちらの覚え方が優れるだろう?少年期の重要な時期をルソーの背中に善く学べたらエミールは幸せ者‥そんな気がする。あなたはどうだろうか?

いやいや、私のようなことを発表してたらルソーは世間の笑い者で終っただろう。それで善き教育環境を作ってあげたいと引っ越したというエミールの設定‥でしょうね。😅