了(りょう)

このブログは「思想」をメインに扱います。私の場合は思想と云っても決して高尚なものでなく「対話重視の思想」という程度のものです。😓

エミール⑩ 魂の最初の解放日?

これまでに散々述べてきたから多々重複するが「時」について書いていきます。

好奇心は比較した幾つかから選ばれるのでなく、突然のように生れると捉えるのが健康的に思える。これ何?に始まって何で?と疑問は深まる。初めは知った言葉が少なくてこれ何?これ何?の繰返しかもしれず、やがて疑問は何で?何で?と深まり進歩する。

何処?何故?何時?誰?など‥所謂5w1hに留まるところを知らない。巾広く知りたい性格 × 深く知りたい性格 ⇒ 無数に分類されそうですが、そんな好奇心の始まりも身近な手が触れる世界の何?から始まるように思う。これ生き物としての必要条件かも‥!?

好奇心旺盛なあなたにとってはこの程度の知識は些細な常識かも知れませんが、瑞々しい感性が育ちつつある子供にとっては世界の全てが不思議で怪しく魅力に満ちて輝いて映っているに違いありません。あなたには冒険に惹きつけられた記憶がありませんか?

ナルホド、好奇心が失われると無関心になる道理です。生れた時点では好奇心の塊りだった人間なのに好奇心の巾は狭められ、人為的・社会制度的・経済システム・商業システム的‥等々の頚木(くびき)鼻環(はなわ)かを装着されて家畜のように曳き回される。

この頚木を吾が子に最初に装着させるのは金持ちや貴族の親と言えそうで、ルソーはそれを「乳母に任せっきりの子育て」に例えているのでしょうね。拘束衣に絞めつけられるのは身体だけでなく、幼い児のガンジガラメにされた感性は窒息して死んでしまう。

このように虐待は生れて直ぐに始まるのであれば、児の魂の解放(≒人間復興)もまた生れた時に始められなければならないことになる。能天気な親は今日もまた己が児に銜(はみ)を着けて得々と過ごしているのだろうな。私はそんなことをエミールに学んでいる。