了(りょう)

このブログは「思想」をメインに扱います。私の場合は思想と云っても決して高尚なものでなく「対話重視の思想」という程度のものです。😓

エミール⑰ 約款 ‐2

ルソーの年譜からザッと挙げる。
ジュネーブで生れ、13才で孤児同然になる。15才で放浪にでる。貴族ヴァラン夫人(未亡人)に気に入られて世話になり、そこで音楽や読書三昧の暮しをして教養を身につける。ヴァラン邸を出たり入ったりしたようで、そうした合い間の33才~10年間にテレーズとの間に5人の子供を儲けるも孤児院へ全て送っている。文才は38才で一気に世に知られるようになったみたいだ。浪漫恋愛小説「新エロイーズ」の刊行1761年。ルソー48才。帯を読んでの知識だが私はルソーが自分勝手に「美しい女性像をイメージしていた」‥ように思う。「エミール」の刊行は翌年1762年。ルソー49才。

孤児院へ5人の子を送ったことは6~15年昔の済んだこととして社会が見逃すことはなく、「エミール」のイメージとのギャップから批判を浴びてスキャンダルとされた。

こういったルソーの過去を仲裁人西研氏は全面的に否定も肯定もしない。氏は憶測だけで決めつける無責任を好しとしない立場に見える。ルソー自身はどうか? エミールで語っているように子どもが幸せな一生を送れるよう心を砕いている事実は打ち消せない。

未熟な人間ルソーは失敗をくり返しながら成長していき、エミールはルソーの失敗に善く学んで幸せな結婚生活へ入る。過去の失敗が生きるときの人はポジティブであり、過去の人生を生かさないとき人はネガティブであり、過去に学べなければ愚かなのです。

愚かであれば己の子に善き進路を示すことが出来ず、そのような者は子孫の幸せを真に願っているとは云えない。悪路に足を取られて失敗しても、善路に扱けて失敗しても、あるいは過去のどんな成功談や美談も凡ては道半ばで飲む良薬と言えるかもしれない。

ルソーを善く観るときはどんな姿のルソーであっても良薬にできる。虚実に関わらずルソーを毒としては‥毒を飲んだ結果として苦しみの回り道を選ぶことになる。すなわち、ルソーを良薬とする点で仲裁人の説明に矛盾は見られないとするのが私の立場だ。