了(りょう)

このブログは「思想」をメインに扱います。私の場合は思想と云っても決して高尚なものでなく「対話重視の思想」という程度のものです。😓

由美子って廣野だよね!?⑭ カップル ‐1

couple ≒ 似合いのペア‥私の感性はそう認識する。あなたの認識では如何?(*´з`)

公園や遊園地で出逢うカップルにお似合いとかプラボーとか手を振ると大概は笑顔で返してくる。似合いのペアでOKって当事者も思ってる。しかも私は似合いでないカップルを見た記憶がない。そういうことだから今回のお題はカップルとしたのですけど‥。

上記の文で「認識をゆがめてはならない」という根拠に出来ないだろうか?オースチンは認識のゆがみを嬉しく思わなかったようです。もちろん、オースチン(私もです)があなたの歪みをどうこう出来る立場でなければ‥己自身に課した命題という事になる。

このことに納得できたら誤解と拒絶をくり返したリジ―とダーシーを温かく見守りたい私のスタンスを理解したくなるかも知れない。すなわち誤解のナニがいけないの?また拒絶のナニがいけないの?と深まる哲学だ。誤解も拒絶もなかったふうなジェイン‥

俺に逆らうお前は許せない‥こんな感覚をもつ日本人は多い。私の気持ちを逆なでする人は嫌い‥知識人は一様に思っているのでなかろうか? その根拠として私は空気を読めとか、いちいち逆らうなと言いたがる知識人の助言の多さに表れていると思っている。

そんなことをいちいち気にしてたらリジ―もダーシーも本音を隠していなきゃならないじゃないか。違うかな? 従順な羊のように唯唯諾諾とつき従う彼女がお好みの男は多いだろうし、最近は男を従えたがる女性も増えているとは思うが、オースチンは違った。

己と違う意見を口にする人を喋らせないようにしたいと考える知識人は確かにいらっしゃる。その知識人がジェントルマンであれレディーであれ、そのレベルで終りたくないオースチンであり私であり、愛する人にも高みを目指して貰うのでなければ詰らない。

(高みを目指す)リジ―とダーシーは人に憎まれていいとオースチンは思っただろうか?誤解したり、拒絶したりする人は憎まれて当然と捉えるべきか?常識を判断基準にする認識は必ず歪むことになる。常識は偏見(≒部分観)でしかないと知るべきでしょう。

ついでですが、離婚も別離もお似合いならこそ起り得ること。ですがこれは浮気や離婚を決して正当化させよう積もりではありません。😅