了(りょう)

このブログは「思想」をメインに扱います。私の場合は思想と云っても決して高尚なものでなく「対話重視の思想」という程度のものです。😓

由美子って廣野だよね!?⑭ カップル ‐3

一応、ここから3回目の講義に入ります。

人はどこへ向うか? どこを目指すか?それは立脚点から希求する所。リジ―とダーシーはどこを目差すべきか‥それは一往オースチンの立脚点から導かれるが、小説の面白さは天井を打たない所‥翻訳者廣野由美子は自分の守備範囲を自由に設定・加減できる。

同じことは私にも云えて、責任範囲を決める自由は当人に属するから私は道を選べて、充実の道を選り往けて、責任の権利を棄てて安逸の道を選り往くのもOKで、同様にリジ―とダーシーのカップルをどこへ着陸させるかは読者が個々に決めていい専権事項。

二人に破局の筋書きを想定する読者はいるだろうし、ハッピーエンドのシンデレラストーリーを描く読者はいるだろうし、安っぽい恋愛ドラマで満足する人もいるだろう。今もオースチンの時代を生きている人はオースチンを超える哲学を想像し得ないだろう。

21世紀を生きる私の知識・智恵はオースチンを超えていて当然で、オースチンレベルのドラマ展開に満足できなくて当然で、己の時代の進んだ哲学で読み解いてこそオースチン文学から得るものも見つけられて満足することになる。それは廣野氏も同じだろう。

私がリジ―を恋人に選ばないのは他者の過去の栄光に酔いしれ囚われる己心を悦べないからであり、リジ―やオースチンにあやかりたい人々が群れ集まって騒ぐのを否定するものではありませんが、今さらダーシーを求める女性たちを求める気にもなれない私。

さて、廣野由美子は私をどこへ導いてくれるだろう? 今はそういった関心から「高慢と偏見」を視聴している。もちろん、私だけが視聴者なのでなく、どこを目差すも廣野には廣野の都合もあれば、私が幻滅しないとも限らず、哲学の違いも視野に置くべき哉。

ま、100分de名著は世界レベルと云えるのでなかろうか。😅